脳性麻痺(まひ) 大人

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今回は、脳性麻痺(まひ)大人について脳性麻痺(まひ)当事者のぼくヒロヤスが感じることや経験したことについて記事を書いていこうと思います。あくまでも1つの事例ですので、全ての脳性まひの大人当事者の方が該当されるわけではありませんので、そこのところをご理解ください。

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脳性麻痺(まひ)大人

脳性麻痺(まひ)の当事者も一般の方たちと同じように成長をして二十歳となって大人になっていきます。大人になっていく過程の中で、筋緊張の変化や二次性障がいが出てきたり、脳性まひそのものもが悪くなる「できていたことが、できなくなってしまう」などのことが起きてきます。

そのようなときには、「ボバース記念病院」や「鳥取県立総合療育センター」などの医療機関や場合によっては、福祉制度や福祉施設などをうまく活用しながら、ご両親も脳性まひの障がいを理解をされて脳性まひの障がいのほとんどが先天性で生まれてくる中で大人になるまで育ててくれます。

大人になるまでヒロヤスが歩んできた道

脳性まひ当事者のぼくヒロヤスが歩んで道のりを書いていこうと思います。このブログで何度も書いておりますが、1984年に大阪府で10,810グラムの未熟児で生まれました。低体重児だったため、保育器に入っていたそうです。
 なかなか歩かなかったので、「ボバース記念病院」を紹介されて、脳性麻痺(まひ)と診断をされて早期からリハビリをしていただきました。
本当に大人になるまで「ボバース記念病院」には、「手術とリハビリ」でお世話になりました。
大阪から山口へ父親の転勤で引っ越し、2年間を過ごしたあと3歳半ときに両親の地元である鳥取へ戻ってきました。

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 鳥取へ戻ってからは「鳥取県立鳥取療育園」へ通園をし、リハビリを受けていました。その後学校入学の年となり「鳥取県立鳥取養護学校」に入学をしました。

鳥取養護学校で過ごした12年間!

学校は、鳥取県立鳥取養護学校で小学部、中学部、高等部までの12年間を過ごしました。 特別支援学校(旧養護学校)では、社会に出てから困らないようにということで、「最低限の文字を読む」「文字を書く」、「計算」の勉強をして、お金を支払う練習を何回もしてきました。

大人になってから変わったこと

2002年に鳥取養護学校の高等部を卒業してからは、お金に触れる機会も増えてきました。自分で正しく計算ができるかというと、現在も正直自身はありません。計算は電卓を使っています。今の時代はキャッシュレスが進んで、お金(現金)を直接払うことが大幅に減りました。ただ、その分、銀行口座の残高の確認や計算をする機会は増えました。

鳥取養護学校を卒業して感じたこと!

学生の間12年間は、たくさんの先生にお世話になりました。鳥取養護学校を卒業して、自分が福祉制度を使う立場になってみると、制度には、必要に応じて必要な支援や時間数が決められて何でもかんでも使うことは出来ないものだと知りました。

今も感じているんですけど、使えそうで使えなかったり、行くことができる、公共施設や福祉施設が限られてしまうということです。

字を読むこと!

字を読むことに関しては、今の時代インターネットを使っていろいろ調べてブログやウェブサイトの文字を読んでいます。

今、こうして文字を読むことができているのは、養護学校で文字を読む勉強を少しずつでしたけど、できたからじゃないかと思います。文字を書くことに関しても学校の勉強で何度も練習をしました。ですが、その日の筋緊張の具合によって、誰が見ても読んでもらうことができる文字を書くことは現在も難しいです。

 ですが、現在の日本は、デジタルが進歩をして字を書かなくても良い時代にはなってきておりますが、書類などには、自分の名前を書かないといけないことはあります。なかなか、そこら辺は進歩してくれないですね。

大変なのは大人になってから!

脳性麻痺(まひ)の障がいは大人になってから大変です。なぜなら、子どものときに比べて、リハビリ受けることのできる病院 や施設施設が 少ないということです。

また、当たり前のことなのですが、当時子供だったヒロヤスが大人になって十数年経つということは親もそれなりに年を取っていきます。

必要に応じて障がい者相談センターなどを通じて、ヘルパーさんなど、どんな支援が必要なのか、また、利用できる制度があるかというのを、時と場合にっては考えないといけないなと最近は感じております。少しでも健康で元気に過ごしていきたいと思います。

まとめ

脳性まひ大人についてぼくヒロヤスの生まれてからのリハビリのことや学生生活について、また大人になってからのことを歩んできた道のりとして書いてみました。

 鳥取養護学校高等部を卒業して21年、そして来年には40歳になります。生まれてから40年経とうとしておりますが、やはり身体の衰えを感じるようになりました。
10代のときに思い描いていた将来像など、二十歳になってだんだん気がつくようになった理想と現実の違いなど、三十代になって身体はもっと緊張のコントロールが必要になっていって、
日々の日常生活を送るのがやっとで、あっという間に過ぎていく年。そして来年40歳が間近になっております。

 両親も高齢者に入る年齢となりました。兄弟も結婚して独立をしております。ぼくのこれから先の生活をどのように送っていくかを、そろそろ考えなくてはいけないなと思っております。どういう選択肢があるか、何をして過ごしていくのか40代の間ゆっくり時間をかけて考えていきたいと思います。

本当にそういう意味で言えば、脳性麻痺(まひ)の障がいを持って生まれると子どものときから、大人になって、最後を迎えるまで考えることややらないといけないことが多くて大変です。

コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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